バランス

主力戦車と中戦車の境界は曖昧であり、初の主力戦車はどれであるかということははっきりしていない。使用目的で言えばIII号戦車であるが実際その任を果たせたとはいえず、M4シャーマンはモバコイ本来アメリカ軍の戦闘教義に従った歩兵支援用であり、T-34は巡航戦車的なBT戦車を発展させ重装甲化してできた戦車であり、結果はともかく目的としては純粋なMBTとは言い難い。V号戦車パンターは「中戦車」と呼ばれながらも当時の重戦車級の重量と厚い正面装甲、なおかつ十分な機動力と敵戦車を積極的に攻撃できる火力を生産当初から持ち合わせ、比較的MBTに近い存在であった。また、M26パーシングは当初重戦車として採用され、路外機動性に劣ってはいるが、後により強力なエンジンと発達したトランスミッションに換装し機動力を改善したM46パットンに発展し、MBTの前段階といえる。また、歩兵戦車のコンセプトを統合し「重巡航戦車」と呼ばれ、大戦末期に登場し後に改良を加えられ発展するセンチュリオンが初のMBTであるともいわれる。

こうして戦車の分類は重量より目的に応じたものに変化、第二次世界大戦後に開発された戦車のほとんどが主力戦車であるといえる。

では主力戦車以外のカテゴリーの大戦後はどうであったのか。

まず戦後の軽戦車の開発と運用は国により差があった。第二次世界大戦での戦訓から軽戦車でありながら優秀な火力を持つ物、また、空挺用など特殊任務に特化したものが現れたが、機動力のある主力戦車や、より快速な装輪装甲車に偵察を任せるケースも多く、イギリスのサラディンやシミターのような例を除き全体としては開発は消極的になっていく。

ソビエト連邦は第二次世界大戦末期に出現したIS-3の他、IS-4や発展型T-10を開発。これらは(大戦中ドイツ軍が目指したような)陣地突破を目的とした独立編成の「破壊槌」であり、これを迎撃する重駆逐戦車としてコンカラーやM103が開発された。しかし、単純に装甲を厚くすることよりも避弾経始や運動性能に頼った機動回避が有効であると認識され、また、重戦車を撃破可能な軽量な105mm砲も開発された。西ドイツ(レオパルト1)やフランス(AMX-30)などでは早々に重装甲を捨て、機動性や地形に頼り敵からの攻撃を回避することを優先した戦後第2世代の主力戦車に移行した。その最も顕著な例がStrv.103であり、日本も74式戦車で追随した。この時点で火力・防御力に機動性が追いついていない旧世代の重戦車は、一旦淘汰されている。

しかし、イギリスはセンチュリオンを発展させ、コンカラーに匹敵する重装甲と重火力を併せ持つ主力戦車の開発に投資を継続した。これは被弾経始で対応できる旧来の徹甲弾はまだしも、当時既に実用段階にあったAPFSDSや対戦車ミサイル等に対し機動回避のみで対応することに懐疑的だったからであり、結果チーフテンの完成に至る。その後、第四次中東戦争では対戦車ミサイルが猛威を奮い、イギリス陸軍の懸念通りイスラエル陸軍戦車部隊はここで甚大な被害を受けている。もっとも、通常装甲しか持たないチーフテンが投入されていても結果は同じであったが、車体側面のスカートと砲塔側面に雑具箱を装備したイギリス製戦車は、これがHEAT弾に対するスペースドアーマーとなり致命傷を免れることもあった。その戦訓により、各国もイギリス陸軍と同様に重戦車の火力と防御力(生存性の確保)を持ちながら、より優れた機動性も併せ持つ戦車の開発に移行していくことになる。

ピュアアイリンク1
ピュアアイリンク2
ピュアアイリンク3
ウイルス核酸
ヌクレオカプシド
部品の合成
ウイルス感染による細胞死
アメリカ合衆国軍
陸軍
バランス
その成果
水域
太平洋戦域において
小型軽量
空挺
種別
大きな車体
大戦後
巡航
歩兵
偵察
火炎
概要
後継
対空
大規模な
撃つため
航空機等
一般的
モバコイ
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モバコイ
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モバコイ
砲の口径
攻城戦
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兵器種
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